ガラパゴス化する日本における理学療法の世界

近年、日本における理学療法士の世界が徐々にガラパゴス化している傾向があるのではないかと感じています。

そのことを理解することで、現在の課題や将来への改善への糸口を模索してみたいと思います。

ガラパゴス化とは?

ガラパゴス諸島は、東太平洋上の赤道下にあるエクアドル領の諸島です。ここでは、海を隔てた大陸から距離があり、外敵の侵入がないこともあって、様々な生物が独自の進化を遂げました。

ガラパゴス化とは、日本で誕生したビジネス用語です。ガラパゴス諸島のように孤立した環境の中で、独自の進化が著しく進行すると、外部の標準からかけ離れてしまうという現象のことを指します。

『ガラケー』という言葉がまさにこのガラパゴス化の象徴です。日本の携帯電話の初期では、独自の最先端技術により機能や性能が進化していきましたが、海外ではあまり受け入れられず、日本でのみ使用されるという現象に陥りました。その結果、スマートフォンにそのシェアを奪われ、『ガラケー』は衰退していくことになったわけです。このように、独自に進化を遂げてその地域において最適化を進めたとしても、外部からより一層競争力に優れた種類の何かが入ってくると、ガラパゴス化した生態系は最終的に淘汰されていく傾向にあります。

日本における理学療法の歴史

1963年(昭和38年)に、国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院が日本で初の養成校として開校しました。そして1965年(昭和40年)に「理学療法士及び作業療法士法」が国会にて成立たことにより、その翌年に日本初の理学療法士が誕生したわけです。今から約50年前の話です。

国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院は、当初WHOの援助などを受けて運営されていましたが、1970年(昭和45年)以降は、日本人が教育を担当するようになったとのことです。

その後、理学療法は日本において進化を遂げてきており、現在の日本における医療保険制度や介護保険制度にとって、必要不可欠な存在にまで成長したと言えます。それによって、もはや確固たる位置を社会の中で築いており、今後『ガラケー』のように急激に淘汰されることはないでしょう。

理学療法のガラパゴス化

それでも、少なからず理学療法は、医療の世界においてガラパゴス化してきているように感じます。

どういうことかと言うと、理学療法の概念というものは自由度が高く、かつ客観的な指標に乏しいという特徴があります。「理学療法とは何ですか?」という答えは、理学療法士によってかなりバラつきがあるでしょう。それでも、理学療法は日々研究とエビデンスの蓄積によって進化してきており、最近ではエコーを用いたより客観性の高い評価指標を導入しようという動きもあります。ファシリテーションテクニックを中心とする手技体系もかなり広まってきているように思えます。

しかし、先日僕は患者さんや医師の先生などと話しをしていく中であることに気づかされました。いや、実はずっと前に薄々感じてはいたのです。

それは、【理学療法士の発展させてきたリハビリテーション】と【世の中が認識しているリハビリテーション】に大きなギャップがあるのではないかということです。

決して悪い意味ではありません。非常にもったいないと感じる部分なのです。

理学療法士は、脳と運動機能との関連における理論体系や、軟部組織を中心とする身体機能評価・治療に関しては非常に優れており、独自の技術体系を確立しつつあると言っても良いと思います。まだまだセラピスト間で認識や手法の差は大きいですが、僕の知っている多くのセラピストは自分なりの治療コンセプトを持っていて、技術とエビデンスをマッチさせていく努力をしながら実際に効果のあるリハビリテーションを行っています。

しかし、世の中での理学療法のイメージはどうでしょうか?

  • マッサージと同一視されている
  • 筋力訓練や可動域訓練のみがクローズアップされることがある
  • とりあえずとしてのリハビリ処方が出されることがある
  • 具体的に何ができるのか不明瞭

このような現状が無いとは言い切れません。

理学療法が約50年かかって発展してきたことに対して、社会との互換性があまりにも乏しいと思わざるを得ない状況です。これはまるで、ガラパゴス諸島の中で独自に進化してきた生態系と似たような境遇ではないでしょうか。

理学療法士にも原因がある

このような現状に陥っていることに対して、理学療法士にも原因があるでしょう。それは、外の世界との交流をあまり持たないことです。具体的に言えば、医療の中核である医師との協力体制のことです。医師からの処方によって理学療法士は動きますが、理学療法士から医師へ何かアプローチをすることは、基本的にはほとんどありません。具体例を挙げていきましょう。

医師の間の共通言語

理学療法士の普段から用いる用語と、医師が用いる用語には、しばしば違いが見られます。例えば、「癒着」ということばを取り上げてみましょう。理学療法士は、人にもよりますが、「○○の組織の癒着剥離操作をこのように行った」などと使うことがありますが、医師にとっては「癒着」というものは、メスを用いて手術によって対応すべきものであり、徒手的に剥離できるものではないという認識の先生が多いようです(そのように考える先生にしか僕は会ったことはありません)。

また、膝などで言えば、「punk」「BOP」「effusion」など医師が通常用いるような簡単な用語を理解できていない理学療法士は大勢いるでしょうし、逆に理学療法士による「筋膜が~」「運動連鎖が~」といった用語は場合によっては通じない場合も多々あるでしょう。

 学習・成長の場

理学療法士は医師から処方を受け、医師の目指す医療を達成する手助けをする役割があります。しかし、研修会や学会では、理学療法士オンリーが参加しているような場合がほとんどです。若手や新人の内はそれでも良いでしょう。

しかし、ある程度熟練してきた理学療法士であっても、理学療法士にしか通じないセオリーや理論を内輪で発表したり学び合っているだけであることが多いわけです。

ガラパゴスからの脱却

これらの解決のためには、

  1. 医師の主催する学会や研修会に飛び込んでいく
  2. 勤務先の医師・他のコメディカルと積極的に連携する
  3. 地域社会への理学療法に対する理解を増やす

こういったことが重要です。

医師の主催する学会で理学療法士が発表するというのは、とてつもなくハードルが高いことです。協力して下さる医師の先生が必要ですし、発表に際して推薦が必要である准会員や臨時会員にならなければいけない場合もあります。また、医師ではないということで厳しい目線で見られることもあるかもしれません。しかし、そこで得られる知識や情報は、この上なく理学療法の将来にとって有益でしょう。

また、勤務先の医師の先生などが理学療法に対して何を具体的に求めていて、どこまで理解して下さっているのかを確認するとともに、「理学療法士として自分はこのように考え、このような治療を行っています」「こういった症状も対応できます」といったアプローチを行うことも重要です。

違った側面では、地域社会とのかかわりの中で、社会はリハビリに対して何を求めていて、どこまで理解しているのかを聴取する場を設けたり、理学療法はこのようなことができるといったアピールも必要です。これは、各個人では限界があるので影響力のある組織やインフルエンサーが行うべきでしょう。

まとめ

『ガラケー』がスマートフォンにシェアを奪われたように、理学療法士は何かほかの媒体にその地位が奪われる危険がないとは言い切れません。その前に、ガラパゴス化から脱却を目指していくことが今後重要でしょう。