多くのデスクワーカーの方の多くは、肩こりのような背中の痛みを経験されたことがあるでしょう。
しかし、そのような痛みがなぜ起きるのか、またどんなメカニズムかを理解して適切に対処できている方は少数です。
今回は、比較的知名度のある『菱形筋』に着目して、その対処法をご紹介していきます。
セラピストの方にも役に立つように、やや専門的な話も含まれています。
目次
菱形筋って何?
菱形筋とは、肩甲骨の後方に位置する筋肉であり、物を引き寄せたり、ボートをこぐような動作の時に働きます。
その名の通り、菱形(ひしがた)のような形状をしています。
菱形筋の話をするには、まず肩関節について知る必要があるでしょう。肩甲骨を含めた肩関節は、実は特徴的な構造をしています。
肩関節は、懸垂関節(Hanging joint)とも呼ばれる通り、体幹とは胸鎖関節でしか連結しておらず、いわばぶら下がっているだけの関節です。
ハンガーをイメージしていただけると良いかと思います。
肩甲骨の動きは、肩甲胸郭関節として知られています。

このぶら下がっている肩関節を、体幹に固定する役割を担っている筋肉の一つが菱形筋というわけす。
菱形筋の起始停止など
菱形筋は、小菱形筋と大菱形筋に分かれています。
それでは、それぞれの筋肉の付着部や作用などを見ていきましょう。
小菱形筋
まずは小菱形筋です。
小菱形筋の起始停止(付着している場所)などを以下に記載します。
- 起始:第7頸椎、第1胸椎の棘突起
- 停止:肩甲骨の内側縁
- 作用:肩甲骨の内転・下方回旋
- 神経支配:肩甲背神経(C4、C5)
大菱形筋
では、次に大菱形筋についてです。
大菱形筋の起始停止などを以下に記載します。
- 起始:第2-5胸椎の棘突起
- 停止:肩甲骨の内側縁
- 作用:肩甲骨の内転・下方回旋
- 神経支配:肩甲背神経(C4、C5)
両者の違い
これだけ見ると、作用や神経支配などよく似ていることが分かります。中には、両者が一つの菱形筋となっている場合が全体の1割ほどいます。
両者の筋肉に違いがあるとすれば、筋肉が付着する場所です。肩甲骨側では、肩甲棘を境に分かれており、脊柱へも上下で分かれているのが分かります。
特に、肩甲棘の内側端は“棘三角”と呼ばれており、やや平面状をしていることから大菱形筋と小菱形筋を触り分けるランドマークとして利用されます。
菱形筋由来の2つの痛みメカニズム
それでは、ここから菱形筋が原因となる2つの痛みについてご紹介します。
それは以下の2つです。
- 筋肉の痛み
- 神経の痛み
この両者の痛みを理解することで、どのような運動を行う必要があるのかが分かります。多少難しい話ですが、それをご紹介します。
筋肉の痛み
姿勢の影響
デスクワーカーの方を中心に、菱形筋による背中の痛みはしばしば見られます。
では、なぜ菱形筋が背中の痛みにつながるのでしょうか?
そこには、いくつかの理由があります。
下の写真は、デスクワーカーの方によく見られる姿勢です。
パソコンのキーボードを打つ時などは、背中が丸まりやすく、両側の肩甲骨が左右に開きやすい傾向があります。
筋肉への影響
上のような写真の姿勢になると、菱形筋は絶えず伸長され続けることになります。
先ほどご紹介したように、肩関節はハンガーのようにぶら下がっているだけの関節ですので、菱形筋には伸長された状態で、常時負荷が加わることになります。
筋肉というのは、伸長された状態で負荷をかけられるのが最も攣縮(こわばり)を引き起こしやすい傾向があります。攣縮とは、痙攣性の収縮のことです。
また、そのように筋肉のこわばりが続けば、二次的に筋肉の短縮が起きることもあります。

特に、攣縮に見られるような持続的な筋収縮は、筋肉内の血管を狭めてしまうことで、発痛物質が停滞することになります。
神経の痛み
肩甲骨固定力の低下
菱形筋は、肩甲骨を体幹へ固定する作用があることを、先ほどご説明しました。
これを逆に考えると、もし菱形筋の筋力低下が起きたならば、肩甲骨の体幹への固定力が弱まるということです。
菱形筋の作用は、肩甲骨内転作用があるわけなので、菱形筋の筋力低下によって肩甲骨は外転方向へ変位することになります。
すると、上肢の重みで肩甲骨には下方回旋方向へ力が加わるため、いわゆる『なで肩』のような姿勢となります。
神経への影響
“なで肩”となると、鎖骨や肩甲骨が下方へ下がることで、神経には牽引力や圧迫力などが加わることがあります。
菱形筋は、起始停止の項目でご紹介したように、肩甲背神経と呼ばれる神経によって支配されています。
肩甲背神経は、C5神経根から分岐した後に、腕神経叢(C5~T1神経で構成される神経のネットワーク)となり、肩甲挙筋や小菱形筋・大菱形筋の深部へと向かいます。
よって、肩甲背神経がどこかで圧迫を受けた場合、肩甲骨内側部での痛みが出現します。
例えば、肩甲骨が下方へ下がることで肩甲挙筋(肩甲骨を吊り上げるための筋肉)には過負荷が加わります。そして、肩甲挙筋の攣縮は、その深部を通過する肩甲背神経を圧迫することで肩甲骨内側の鈍痛を誘発します。
肋鎖症候群
画像引用元:グレイ解剖学 原著第2版
上の図のように、腕神経叢は肋骨と鎖骨に挟まれるような形で存在していますので、その肋鎖間隙(肋骨と鎖骨の隙間)が狭くなることで神経的な痛みが出現します。
菱形筋の筋力低下による肩甲骨と鎖骨の下方変位は、稀ではありますが、この神経的なトラブルを引き起こすことがあります。
このことは「肋鎖症候群(胸郭出口症候群)」と呼ばれ、特になで肩の方に見られる傾向があります。
この場合、肩甲骨内側部だけでなく、上肢のしびれや肩や腕・肩甲骨周囲の痛みが生じます。
ただの肩こりだと思っていた症状が、実は神経的な痛みにつながることすらあるのです。
リハビリ方法
ここで挙げた菱形筋に関する『筋肉の痛み』や『神経の痛み』に対するリハビリ方法を次にご紹介します。
今回紹介した2つの痛みを簡単に言えば、次のようになります。
『筋肉の痛み』=不良姿勢による菱形筋のこわばり
『神経の痛み』=菱形筋の筋力低下
よって、リハビリではそれに対応するためには、次の項目から運動療法を選択することになります。
- 姿勢の改善
- 菱形筋のリラクセーション
- 菱形筋のストレッチ
- 菱形筋の筋力強化
姿勢の改善
デスクワークを一つの例として進めましょう。
最も多い不良姿勢は、頭部が体幹よりも前方へ出てしまっているものです。
この原因として考えられるものとしては、パソコンのモニターが目線の下にあることなどが挙げられます。
よって、デスクを上げるか椅子を下げるかして、目線と同じ高さか、少し低い位置にモニターを配置するような工夫が必要です。
頭部の位置が変わるだけで、下の図のように姿勢は改善されることが多くあります。
菱形筋のリラクセーション
今回、菱形筋のリラクセーションとしてご紹介するのは、次の2つの神経生理学的な作用を用いたものです。
- 反回抑制
- 相反抑制
反回抑制とは、主動作筋を働かせると、それと同じ神経で支配される筋肉へは抑制的に働き、拮抗筋へは促通として働く神経機構です。
簡単に言えば、痛みを誘発させたり過剰な収縮でなければ、菱形筋を働かせること自体がリラクセーションになるということです。また、適度な筋収縮はポンプ作用による発痛物質の除去を可能にすることで、筋攣縮の改善に貢献します。
相反抑制とは、主動作筋を収縮させることで、その拮抗筋が抑制的に働くという神経機構です。
これを簡単に言えば、前鋸筋(菱形筋の拮抗筋)を働かせることがリラクセーションなるということです。
それでは見ていきましょう。
方法➀
- タオルを反対の手で把持します。
- 赤の矢印の方向へ、肩甲骨を軽く動かします。動かすのは肩甲骨のみで、肩・肘は動かないように固定します。
- 反対の手でタオルを引きながら、補助します。
- これを、痛みが絶対に出ない程度に反復します。
方法➁
- 手を振るような要領で、上肢を後ろへ引きます。
- その際に、肩甲骨を斜め上方へ軽く引き上げるような意識をします。
- 痛みが出ない範囲で反復します。
方法➂
- 手を前に伸ばし、肩甲骨を外へ広げるように押し出します。
- 肩甲骨を内側へ引き込むように、胸を張ります。
- この2つを交互に反復します。
菱形筋のストレッチ
菱形筋のストレッチ方法をいくつかご提案します。
ここでは2つご紹介しますが、菱形筋のストレッチはその構造からやや難易度が高い傾向にあります。
基本的にはスタティック(静的)ストレッチとして、反動をつけずにじっくりと伸ばしていく方法をとります。
方法➀
- ストレッチしたい方の上肢を、反対の肩を触るように伸ばします。
- 反対の手で、肘を押さえます。
- 補助する人は、肩甲骨の内側を押さえます。
- 肘を引きながら、肩甲骨を外側へ移動させるサポートをします。
- これを、少なくとも30秒程度かけてゆっくり伸ばします。
方法➁
- 反対の方の手で肩甲骨を押さえます。
- 両方の上肢を交差しながら伸ばすように、ストレッチしていきます。
- これを、30秒程度かけて行います。
菱形筋の筋力トレーニング
“なで肩”による神経的な痛みなどが出ている場合には、菱形筋のトレーニングが有効な場合があります。
肩甲骨を内転位に保持することで、肩甲骨・鎖骨の下方変位の是正を期待できます。
方法➀
- 何かを反対の上肢で支えながら、軽めのダンベルを持ちます。
- 肩甲骨を後方へ引き上げるように、ゆっくりと動かします。
- 最初は肘を伸ばした状態で行い、徐々に肘を曲げて肩甲骨をさらに後方へ引き込んでいきます。
- これを10回1セットとして、状態に応じて数セット繰り返します。
まとめ
今回は、菱形筋を中心とした痛みや、その対処法をご紹介させていただきました。
肩周囲の痛みの全てが菱形筋由来であるわけではないですが、菱形筋の構造を理解することで、対処法も見えてくる部分があると思います。
特にデスクワークを長時間行う方は、日々のケアが重要です。